書画家・夏生嵐彩のプロフィール~どうして書家になった?赤裸々すぎる来歴

こんにちは、夏生です。

教室の沿革「墨サロンを始めたきっかけ」については別記事で詳しく書いているのだけれど、ところでわたしはどんな人?なんで書家になったの?とかを書いていなかったし、よく聞かれることなので、ここで洗いざらい喋ろうと思います。

みんなが期待するようなかっこいい書家像では決してないのだけれど、「こんなへなちょこなヤツでも生きて行けるんだ!」と誰かの希望になったら嬉しいので包み隠さず幼少期からの私を記憶とともに追尾してゆく。

第一章:空想少女~兄姉の甘やかしと友達ができない子

私には8個も離れた姉と兄とがいて、蝶よ花よ!とずいぶん甘やかされて育った。

それもそのはず。そもそもどうして姉兄とこんなに歳が離れているのかというと姉が小学生の時、サンタさんに「妹が欲しいです」と頼んだからだ。

サンタからのプレゼントなんだからそりゃ大事にするだろう。リカちゃん人形で遊ぶように私は姉に持ち歩かれて、兄にはスライムで遊ぶようにもみくちゃにされながら持ち運ばれていた。

おかげで髪の毛はいつも姉の独創的なアレンジで結われていたし、兄の指先で頬っぺたはグニャグニャに柔らかくなった。今でもほっぺはグニャグニャなままだ。年取ってたるんだら彼に責任を取ってもらおう。

友だちってどうやって作るんだ・・・

家族からは愛されて育ったものの、学校に入ると同世代の友人の作り方や遊び方がわからなかった。小さい時も一人でリカちゃん人形の家に自らが入って(だいぶ体をねじ込んでいる図を想像してほしい)、人形で遊ぶのではなく空想でブツブツ言いながら遊んでいたらしい。そんな子がどうやって友だちを作れるもんかね?

学校の休み時間は男子と走り回ってればいいので不便しなかったが、放課後自分からクラスメイトを誘って遊ぶとか思いつかなかったし、そもそも誘って何かしたいか?というと特にしたいことが無いので誘ったことがない。よって誘われることもめったにない。

特に夏、近所の公園であるお祭りとかは普通友だちと行くものらしいのだが、誘われたことがないので(そもそもお祭りの日程をみんなはどうやって知るんだろうと思っていた)大抵は家族と行っていた。姉兄が友達と行く場合は母と2人で。

しかも私が興味あるのは屋台の方ではなく「盆踊り」の方なので、結局家族とも別行動でお祭りの終わる時間まで2~3時間ひたすら踊り続けていた。

もう祭りが終わる時間になって家族と集合すると、おいしそうなお菓子やおもちゃ、ご飯をたくさん持っていて半分羨ましい気持ちになりながら、私の分も買っていてくれてるので帰りに食べる、みたいな感じで、万が一ともだちに誘われてお祭りに行っていたとしても、踊れないからつまらなかったかも知れない…。

しかしお誘いを受けない寂しさというのは常にあった。誘ってみればいいのに…とお思いでかね?いや、だから日程を知らないんだよ。笑

クラシックとドラえもん

世の中の小学生はポケモンに熱狂していて、学校の帰りの会に『ポケモン言えるかな?』みたいなタイトルの歌を歌わされていたんだけれど、私はポケモンのアニメもゲームもしていないので終始「・・・?」だった。

みんな嬉しそうに早口な部分を歌ってたけどどうにも興味が湧かず。別に斜に構えてたわけではなく、キャラクターは可愛くて隣の席の子が「ポケモンパン」のシールをくれるから、自分の下敷きに貼って集めて楽しんでいた。プリンかわいー!イーブイかわいー!それだけで十分。

そんな私がとにかく毎日、放課後にやっていたことと言えば、クラシック音楽…特にショパンピアノ全集のCDをひたすら聴くか、数年分録画されたドラえもんのビデオを夕飯までひたすら観ること。

とにかくキラキラした音色のショパンが好きすぎて、練習曲そっちのけで読めもしないショパンの楽譜をねだって、耳コピ&楽譜でそれっぽいのを弾きながら休日は「もう近所迷惑だからやめなさい」と言われるまでピアノにかじりついていたし、何度同じ話を見てもドラえもんは飽きなかった。

ドラえもんやピーターパンと空飛ぶ夢や、アラレちゃんやのび太君と学校で遊ぶ夢を毎晩のように見ていて私の夜は大忙しだったので、朝学校に行くのは眠くて仕方なかった。(今でもよく見る。だから朝は苦手。)

とは言え、学校が嫌いだったわけでばなく、授業中に発言したり発表したり、体育で走り回ったりするのは大好きで、多分先生たちにとってはかなり都合のいい優等生だったと思う。いや…ただ制度に理不尽なことが起きると校長に直談判したりするような子だったので、やっぱりかなり厄介だったかもしれない。実際どう思われてたんだろう…。

書道との出会い

いつ書道の話すんねん!と思っていたでしょう。

それくらい私にとっての書道は、かなりさりげない存在だった。

姉と兄が通っていた書道教室に小学校入学前、母と一緒に行ったことがあって、経緯は何だか忘れたが「なっちゃんもやりたーい!」なノリで始めた。

もともと親は書道を習わせるつもりだったから、左利きの私を幼稚園の時から「字だけは右で書こうね!」と直していてくれたのもあり、すんなり始められた。こればかりは親に感謝せずにはいられない。今職業柄、両利きで色々便利な思いをしているのもこのおかげだと思っている。

さて、読者はこう思うだろう。そのまま書道が好きでどんどん得意になって、クラシック音楽以上にのめりこみ、書の道への扉が開かれたものだと。

否。もちろん習字も好きだったが、音楽やダンスが好きなのとほぼ同じくらいのウエイトで習字が好きだったので、何一つ特別感はなかった。好きな習い事のひとつ、ただそれだけ。

他の子よりは得意だったけれど、でもその得意さの度合いも、足が速いとか、勉強ができるとかそういうのと横並びな感じだったので「書道だけわたしゃ特別スゲーぜ!」って感覚もなければ、将来それで食ってくんだ!なんて思うわけもなかった。

第2章:いじめと学校~書という逃げ道

弱いものイジメではないイジメは問題じゃない、らしいぞ。

中学に入ると、朗らかな小学生時代と違い、思春期ならではの不健康な閉塞感と権力への抵抗からかみんなが殺伐としていて、何もわからず小学生な気持ちのまま過ごしていた私は、何もしてないのにいじめられた。

そのあたりの詳しい話は別の記事に書いてあるので、そちらを暇なときに読んでもらおう。あまりいい気分になる話ではないから飛ばしてもらっても結構。
→中学の思い出『ハゲは勲章』

どうやら、普段も行事ごとでも目立ちすぎていたらしい。だって文化祭も体育祭も授業も楽しいんだもの。(気分はずっと小3)

先生いわく”やっかみ”からいじめられているので(弱い者いじめではないから)問題ないとのことで(問題はあるだろ!)自分の子どもに「あなたみたいに育ってほしいからとナツキという名前をつけたくらいよ」とか言うもんだから話にならぬ。

いやいや、こちとら理由はともかく円形脱毛症になるほどには困っているんだよねと思ったけれど、先生が解決してくれないから自分で何とかするしかない。結局直接相手と話して、私とほぼ無関係な恋愛沙汰?みたいなちょっとよく理解できない理由でハブかれていたのでもういいや、と思った。知らん。

内申点は3年間しっかりオール5をとっていたので第一志望の高校にすんなり入って清らかで安らかな高校生活を心待ちにしていた。(中学の卒業式はなんと晴れやかな気持ちだったろうか!)

目立たないように努めた高校生活

中学で、目立つとイジメられるということを学習したので、高校では生徒会とか興味がなかったし、体育祭などにも積極的に参加しないようにしていた。今思えば高校こそ、はっちゃけても大丈夫だったのだろうが、トラウマとは怖いものだねえ…。

しかし魔の手はすぐそこに忍び寄っていた。

高校では大好きなダンスを続けるべく、過去数年受賞歴があったのも信用してダンス部に入った。小2からダンスを習っていたのもあって初めからリーダーシップをとって学年内でも目立っていた。

ん?待てよ……。め、、目立っちゃダメじゃない?(学習能力ゼロ)

そう、結局ここでも女子軍団の中で、変に女のドンみたいな態度をとっていた子に目を付けられてしまったのである…。くぅ~・・・好きなダンスを楽しんでいただけなのにねぇ…。

そんなわけで、ダンスは何のしがらみもない駅前のスクールに通うことにし、ダンス部は早々にやめた。あたしゃそんなことで悩んで高校生活まで棒に振りたくないのよ!

書道部創設…?

しかし困った…。高校で部活に入ってないっていうのも、なんか「青春!」っぽくない気がして。かと言って他の部活はもうグループとかできているだろうし今更なぁ…と躊躇。

そこで高校生・夏生はひらめく!「書道部とかなら地味そうだし大丈夫じゃね?」と。

我が母校、横浜翠嵐高校は選択授業に音楽・美術・書道の全てから選べるので絶対に書道の先生はいるはずだ!翠嵐バンザーイ!!(ちなみに私は音楽選択だった。)

思い立ったが吉日、職員室に行き「書道部の先生いますか~?入部したいんですけど!」と尋ねると「うち書道部ないよ?」と一蹴される。

「あ、そーなんですか。じゃ作っといてくださ~い。」

「あー?わかったー。」

軽い!!軽すぎる!!が、無事…書道部に入部したのだった。いや創設したのだった。部活ってそんな簡単に作れるものなのね。ドラマでよく見る「5人以上集めなきゃ~」と走り回ることなく勝手にできた。

こんな感じで誰からもいじめられる心配もなく、部員一人で優雅な部活動が開始した。ひゃっほーい!1人って最高!!

求めていた「部活」と「青春」とはだいぶ違う気がしてならないのは内緒にしておこう。

ティータイムしてたら全国大会行っちゃった

部活の先生は、お母さんみたいな人で、「へえ~上手いこと書くねぇ~」とか覗き見しながら特に何か指導するわけでもなくそばにいて、「そろそろ休憩したら?」とお茶を入れてくれるので、先生が持ってきてくれたお菓子を食べながらよくティータイムをとっていた。

ある日先生が「好きに色々書いてるのもいいけどこんな大会あるから出してみない?」と資料をもってきた。

全国高等学校総合文化祭。地区予選があり県から代表を選び全国で競うもの。言ってみればインターハイの文化部バージョンらしい。

が、私はそんなことを全く把握しておらず「いいんじゃない?やろっかな~」と参加を表明。夏休みやることもないし(いや、受験勉強しろよ)大好きな黄庭堅という書家の古典を全臨(※)することにした。

※古典を全て筆勢なども含めてそっくりに模写すること。

夏休みがはじまり本格的に大会に向けた作品作りに入る。先生はだいたい私よりも早く書道室に来て、墨すり機に墨を磨らせて、お茶とお菓子を用意して待っている。毎回社長出勤な私になんの文句もなかったのだろうか…笑(いや、集合時間は守っていたはず…)

今考えると勤務時間でもないのに(なんなら顧問でもないのに)書道の先生は私のために部活に来てくれていたのはすごく感謝すべきことだが、当時の私は恩知らずで「先生おはよ~う!!今日も早いね~!」みたいな挨拶してたんじゃないか??と思うと若さとは恐ろしい。(もう覚えていない)

書き始めたら集中しっぱなしの私が全部書き終えたタイミングで、相変わらずお茶が入っているので(メイドか!ってくらい的確な時間に用意されている。)お菓子を食べては「上手いねえ~」と眺めるだけの指導をしてくれていた。(もちろんちゃんと講評はしてくれた)

まあそんなこんなで3時間書いてお茶を飲み、3時間書いてお茶を飲み、また3時間書く。みたいな風変りな一日を過ごして私の高2の夏休みは終わる。

先生からの突然の電話

そんな充実した時間を過ごしたのも忘れて、学校生活をのんべんだらりと過ごしていたとき、急に先生から電話がかかってきた。

「ねえ!!なんか見たことない賞がついてるよ!あなた全国行っちゃうわよ!」

どうやら会場におもむいた先生が興奮して電話してきたのである。というか展示とかあったんだ…先に言ってよ。ていうか私も誘ってよ。笑

そして何やら受賞式だの高そうな硯だのをもらって、全校生徒の前で全国行ってきますみたいな挨拶をしてあれよあれよという間に京都で行われる全国大会へ。

京都大会の思い出も、まぁあるっちゃあるのだけれど長くなるので別の機会に話そう。とにかくいい思い出、いい青春の1ページが作れたなぁ。書道部を作ってよかったです、はい、ホントに。

受験勉強。書道という抜け道

さて、何を隠そう、実は進学校に通っていた私。

ということで受験がキツすぎる~!ぎゃは~!

一年生の頃から、コツコツと苦手科目は予備校行ったりしていたのですが、しかし根っからの勉強嫌いでどうにもついていけず…、中学からの知識じゃ全然足りていなくて高校の勉強は授業について行くのでひと苦労。いやついて行けないので、、、もう寝てたよね!うん寝るしか手段がなかったよ私には!

で、受験期を迎えてしまったものだから、毎日必死に勉強しても全く追いつかない。それでも第一志望が同じ友達と世界史や日本史の問題を出し合ったり、解説読んでもわからない数学の問題を教えてもらったりしている時間は楽しかった。自習室最高。

てんやわんやで迎えたセンター試験。例に漏れず天気は雪。

友人の試験結果は芳しくなく、私も数学で大惨事をおこしてしまったので、もう浪人するしかない!一緒に来年頑張ろうね!という流れになると思ったら「え?何言ってんの?わたし第一志望受からなくても私立いくよ?」と諫められた…。この!金持ちどもめ!!!

勉強仲間を失った私は、浪人で頑張れる気もせず、現役で行けそうな国立大学を必死に探す。(センター前に調べとけよ…)

そして母が『国立大学一覧』みたいなところから目敏く見つけて教えてくれた。

「なっちゃん!東京学芸大学ってとこが書道と他の科目とで2次試験受けられるみたいよ!」

なんですと?!聞いたことないけどそんなことなら受けてみるしかないっしょ!だってわたくし、全国行ったんだもの!他の高校生と比べて実技の実力はあるってことよね!

ということで、書道室に再び向かった。

「先生、学芸大学ってとこの書道受けようと思うんだけれどどうしたらいいだろうか」

「は?なんで?いつから?それ私の母校だけど!センターおわってからやる勉強量じゃないわよ!もっと前に志望校教えてよ!」と驚かれた。いや、だって今知ったばかりの大学なんだもの…。

書道の受験項目は実技と筆記の2項目あり、実技は漢字と仮名それぞれの臨書・創作をすればいいので、肩慣らしに練習するだけで大丈夫そうだった。

問題は筆記。作品をみて作品名や作者について解説をする問題など多岐に渡るのだが、選択科目が音楽だった私は書道の歴史なんて何も知らず、王義之や顔真卿という人すら漢文で聞いたことあったようななかったような…くらい知識がゼロ。皆無。

センター試験からの1か月間はひたすら中国と日本の書道史を丸暗記する日々。小論文とか国語とかなんか色々受験科目はあったが、過去問見て「たぶん大丈夫だわ」と、ほぼ丸暗記するだけの日々。中国人の名前が覚えられん!っていうか画数多すぎて書けん!

当日も、筆記試験の直前まで本を読みあさり新しい知識を入れ続けた。なんと直前に見たのが2個も出て、天はつくづく私の味方だと思った。直前に見たものを文章ごと丸暗記出来ている自分のことも、この時ばかりはさすがにすごいと思った。

そんなわけでなんとか友達と同様に現役で大学へ進学することに成功したのである。

書道はいつも私がピンチで行き場のない時に救ってくれる。

第3章:飽き性の本領発揮~会社を3ヶ月で辞める

 

 

『ひらがな完全攻略』テキストを無料で配布!

今までの教室で培ったノウハウと、
様々な教科書や参考書を研究しつくした
渾身のテキストです。

一冊で、基本~応用まで網羅しています。

書き込み式だから、必要なのはペンだけ!

3日で終わる構成だから
3日坊主の人でも大丈夫。

ぜひ、美文字の第一歩にお役立て下さい!

ダウンロードはこちら