目次
間違っても失礼じゃない!実は全く同じ字だから。
こんにちは、夏生です。
さて、年賀状の時期になりましたので、「山崎さん」「宮﨑さん」なんて字に出会うと「どっちのサキだ?!」って神経がピリついてしまいますよねぇ。
実は起源にさかのぼると、完全に同一の字なのでどちらで書いても失礼ではないのですが、一般的に戸籍に書いてある字で「うちの家は●●が正しい」という判断をしているのでは。
こだわりの強そうな相手には事前に確認しておく方が好ましいかも。
確認ができない場合、現在の常用漢字では「崎」を採用しているので、「崎」(大の方)を使っておけば失礼はないでしょう。PCによっては「﨑」(立の方)がない場合もありますしね。
でも実際はどちらでも大丈夫。
「そもそもが全く同じ字だから問題ない!」と言える理由を順番に説明しようじゃないか。
﨑は旧字?俗字?略字?異体字?どれでもない
インターネット上もこの質問が多くて、色んな解説がベストアンサーになっているので混乱すると思う。手近な漢和辞典では調べられても、甲骨文や字の成り立ちの載っている字書なんて普通持ってないですもんね。
まず大前提として、楷書としては﨑も崎もどちらも等しく正しいし、古代中国からどちらの字もあるので、どっちが新字・旧字とか略字とかではありません。
あと、漢和辞典では「﨑」(立)を俗字としているものもあるみたいなのだけど、俗字ではありません。正式な異体字です。
異体字と呼ぶのもちょっと変で、「崎」(大)を常用漢字として基準にした場合に、「﨑」(立)を異体字と都合上呼ぶだけで、どちらが基準になるべきでもないです。
皆さんも「崎」の意味について知り、「奇」のなりたちを古代文字から読み解けば、同じ字だと言う理由も、なぜ2つに分かれてしまったのかも納得できるはずです。というか知っていたら結構自慢できちゃうかも。
崎が「けわしい」という意味をもつ理由
「崎」という字には「みさき、けわしい」という意味があります。
なぜこのような意味なのかというと、「奇」には「尋常ではないこと」という意味が含まれているからです。奇怪・奇異的など色んな場面で使いますよね。
なので「崎」は、「山」に関する「尋常ではない事や場所」をあらわして「けわしい・みさき」という意味を持っています。
ではなぜ「奇」が「尋常ではないこと」を意味するのでしょう?
「奇」はそもそも「大」と「可」に分かれている字ではない!
「奇」には「かたがわ・あやしい・すぐれる」などの意味があります。
そしてそのなりたちは、衝撃的なことに「大」と「可」ではありません。「奇」の口がないものと「口」に分かれるのです!!
(伝わらん!活字がないので絵にするしかない!)
「キ」は取っ手のある大きな曲刀。「口」は祝祷を収める器の意味。
大きな曲刀を使うような祈りのしかたは尋常のことではなく、それによって全ての「尋常ではないこと」の意に用いるようになったのです。
意味上では「奇」を上下に分解できないことが分かっても、形成上どうしてそうなったのか?について調べると、さらに面白いことを発見したので聞いてほしい。
だって普通ならここで、最初の疑問に戻るはず。「奇」が「大」と「可」の上下に分けられないならば、なぜ「大」バージョンと「立」バージョンとがあるの?と。
「大」のなりたちは人の形
字にはものの形を表した象形文字(山など)や、特定の場所を示すよう作られた指示文字(上・下など)、意味と意味を合わせた会意文字(飲など)があります。
「大」は人が正面に立っている形の象形文字です。
「立」のなりたちは「大」?!
「立」は人が正面に立っている形の「大」と、地面の位置を示す「一」が合わさった会意文字です。
そう!そもそも「立」そのものが「大」なのです!
もうなんというかほとんど「立」=「大」なんですよ!
楷書の形が変わってしまったから、私たちの目には「別の字」に見えるだけで、「大という人型の象形文字を使って立つという意味を表している」ので形が一緒なのは当然なのです。
「もしも」があれば、どっちかひとつだったってこと。
「奇」を字義として分解するならば
こうでしたよね。
なので、「大」と「可」なのか?「立」と「口+|」なのか?は結局どっちでもない。どっちも字の意味としてはまちがっているし、どっちも「楷書ならば」正しいってことなのです。
篆書の「奇」を楷書にしようとした時、「大」の形と「可」にするか、「大」という形から作られた「立」の字と余りの下の部分とにするか、どちらも同じなのだが、目に見える形としては別の形になってしまったということ。
意味がわかるかな…。つまりもしも「大」という字が、甲骨文字から篆書を経て楷書になる過程で、下の図のような形になっていたならば、
「﨑」の字だけになっていただろうし、
逆に「立」の字が甲骨文から楷書になる過程で下の図のような変遷をとげていたら
「崎」という字の一種類になっていたということ。
篆書の時に同じ形で、成り立ちとしても同じ道をたどっていても、楷書に形成する時に違う形に整えられてしまったから、「崎」と「﨑」どちらの形も誕生してしまったということです。
なんというパラドックス!
まとめ
いかがでしたか?
「全く同じ字だからどっちを書いても大丈夫!」と言い切った理由に納得して頂けたでしょうか。
人の宛名を書くときに「あ~どっちだろう!困ったなあ」って思うだけではなく「そもそもなんで二つ字があるんだ?」ってことに着目して調べていくとこんなに面白い発見が待っていることがあります。
調べてみなければ「奇」が「尋常ではないこと」に使われる理由も知らなかったし「大」と「可」で分かれていないなんて思いもしなかった。
元をたどれば「立」が「大」でできていることも知らなかった。
成り立ちが同じなので、大と立が同じような形として存在する可能性もあった。
小さな文字の疑問から、たくさんの知識を吸収して、他の知識に応用させていく楽しさを味わってもらえたら嬉しいです。
文字っておもしろい!そう思ってくれた方はシェアしてください。
それではまた!
様々な教科書や参考書を研究しつくした
渾身のテキストです。
一冊で、基本~応用まで網羅しています。
書き込み式だから、必要なのはペンだけ!
3日で終わる構成だから
3日坊主の人でも大丈夫。
ぜひ、美文字の第一歩にお役立て下さい!